2016年度(第21回)レポート ―中国・大連

 9月7日に成田を出発11日帰国という日程で、大連の企業と貿易団体のあわせて4カ所を見学し、一大学との学生交流をした。一行14名、短い期間ではあったがたいへん有意義な見学になった。今回の見学を通して、この20年間で中国企業がまさに大きく変貌を遂げていること、また安い労働力を求めて中国に進出した日本企業も、中国側の産業技術の発展により、もの作りではもう日本を追い越す段階に至っており、方針の転換を余儀なくされていることがよく理解出来た。大学訪問では、学生交流は非常に和やかな雰囲気のなかで行われ、アニメの話題を共有しスマホで記念写真を撮るなど次世代の新たな交流の可能性が感じられた。全日程は以下の通りである。

引率者 山口・中村

日程

9月7日午後 大連アイリスオーヤマ(家電メーカー)の張氏の講演。
9月8日午前 大連華信計算機技術公司(IT企業)を訪問。
9月8日午後 大連松下汽車電子系統公司(自動車備品メーカー)を訪問。
9月9日午前 中国国際貿易促進委員会大連市分会(貿易団体)を訪問。
9月9日午後 ジャスタイム国際物流(物流企業)を訪問。大連港見学。
9月10日午前 東北財経大学外語学院日本語学科を訪問、学生交流。
9月10日午後 大連現代博物館を見学、中山広場周辺旧日本人街を散策。
大連同窓会の懇親会参加。

 5月中旬に説明会を開催し、その後参加者を対象とした2回のガイダンスで事前学習を行った後、9月7日に成田を出発、11日帰国という日程で大連企業見学へ向かった。一行14名、大連の企業と貿易団体のあわせて4カ所を見学し、一大学との学生交流をした。短い期間ではあったがたいへん有意義な見学になった。以下、訪問先ごとに簡単なまとめを記し報告とする。なお、今回の見学の訪問先の選択と連絡仲介業務は、大連で日本人向けの生活情報雑誌『大連漫歩』の副編集長を務めている、中国語学科卒業生の武井氏に全面的に協力をお願いした。中国社会は日本とは異なり、人脈が重視される。武井氏が前もって用意周到に我々の訪問の目的、訪問時間などを先方へ伝えてくれていたので、つつがなく見学を終えることができた。

7日

 8時に成田空港集合、予定通り12時過ぎに大連の空港に到着。15時から1時間ほど、宿泊所である華信技術交流中心の会議室に大連アイリスオーヤマの張氏に来ていただき、日系家電企業である同社の中国での事業展開について話を聞いた。アイリスオーヤマは、中国では大連を拠点として全土での生産販売を拡大していること、また近年需要の高まっているインターネット販売に力を注いでいることが分かった。最後に学生全員が質問をし、大連の特色、日系企業の状況などについて尋ねた。なお、このプログラムだけは引率教員が大連出身の大学院生を通して独自に手配したものである。

8日

 9時過ぎに華信技術交流中心の総経理(社長)李氏の案内のもと、大連華信計算機技術公司を訪問。大連に本社を置く創立20年ばかりのIT企業だが、日本の大手銀行の業務を受託する、中国でも有数のIT大企業に成長しているという。そのため見学客が多いらしく、正面玄関脇に会社の概要を示す電子パネルを設けた専用展示室が設けられており、広報担当者から日本語で説明を受けた。この会社の事業内容はソフト開発、ネットワーク構築など多岐にわたるが、一目で理解できる展示であった。その後、社内にある美術館に案内され、さらに上層階にあるデータを集積したこの会社の心臓部分をガラス越しに見学したあと、来賓用の個室を借りて昼食を取った。

 13時から17時まで、大連松下汽車電子系統公司を訪問した。この見学には、専修大学商学部の1ゼミも参加して一緒に行動した。まずは総経理久田氏、工場長平林氏、企画部部長巾氏などに迎えられ、記念撮影のあと、会議室で久田氏から会社の説明があり、見学者との質疑応答があった。その後、ほこりを防ぐための上着と帽子を着用し、平林工場長の案内で工場内の電子系統装置を作る各職場を見学した。工場内の職場の入り口に防塵装置があり、精密機器の生産では防塵対策に何如気を遣っているかがよく理解出来た。また、新入工員を教育する社内の教室に案内された。教育終了後さまざまな技能試験を行い、その技能評価に基づき人員配置をしているとの説明があった。見学後、工場長に対する質疑応答が行われた。安い労働力を求めて中国に進出した日本企業も、中国側の産業技術の発展により、もの作りではもう日本を追い越す段階に至っており、方針の転換を余儀なくされていることが、この工場長の受け答えからよく理解出来た。

9日

 午前10時に市中心部にある中国国際貿易促進委員会大連市分会を訪問した。世界各国の中小企業の製品見本市を行い、同時にまた中国企業の海外進出のための視察ツアーを実施している政府機関の団体である。日本部門に関しては、見本市を通して日本製品の中国での販売促進を行っている。国際連絡部の陳氏と会員部の魏氏によれば、日中の政治的な緊張が高まった2012年度だけは見本市を開けなかったという。福島の原発問題で日本の海産物の輸入が禁止されていること、一方、日本の高価な果物などに人気があるとのことなど、 ここ数年の活動状況を聴いた後、学生一人一人が日中貿易に関する質問をした。昼は市の中心部の食堂で食事。

 午後は14時に郊外にあるジャスタイム国際物流に行く。最初、会議室に案内され、呂社長より約1時間の講義があった。呂社長の会社設立までの経緯と企業理念がおもな内容だったが、ここ20年の高度経済成長のなかでチャンスを掴み、経営者まで登りつめた人物ならではの熱弁に圧倒された。その後、30分ほど車に乗り大連港を一望できるオフィルビルに案内され、広大な港の施設や倉庫、コンテナ群などを遠望し、東北地方随一の国際物流港として機能している大連の役割について実感することができた。

10日

 10時に東北財経大学外語学院日本語学科を訪問し、学生との交流を行った。唐教授、況講師のアレンジのもと、日本人学生と同数の中国人学生が教室に集まり、両国の学生2名がそれぞれ1組となり、40分ほど日中二カ国語でお互いの国の社会・文化について自由に話し合った。その後、日本人学生が日本の伝統文化および観光都市横浜について中国語でプレゼンテーションを行った。日本人学生のためにプレゼントを用意してくれた中国人学生もおり、アニメなど共通の話題を持つ同世代の交流は、一貫して活気ある和やかな雰囲気のなかで行われ、双方の学生にとって互いに親しみと理解を深める貴重なひとときとなった。昼食は、中国人学生の案内のもと学食へ行った。

 13時に大連現代博物館到着。ロシア・日本統治時代の圧政に触れながら、同時にまた他国による統治が大連の多元的な文化を織りなす土台となったことも説く、極めて特色ある展示であった。大連は満鉄の本社などが置かれた都市であるが、中国の各都市のなかでも知日派が多く、早くから日系企業の進出の地となった理由が、ここに示されているように思われる。なお、中国では公的な文化施設の多くが無料で開放されており、 本博物館もパスポートを提示するだけで入館することができた。
 その後、街中心部の中山広場に移動し、日本統治時代に建てられた建築物を見学し、また周辺の旧日本人街を散策した。夕方、18時から大連の同窓会の懇親会に参加し、大連在住の卒業生、遼寧師範大学と東北財経大学の日本語学科の学生と懇談した。

11日

 10時頃、華信技術交流中心から大連の空港へ向けて出発、15時過ぎに成田空港に到着。参加者全員の体調を確認し、今回の見学の意義について簡単にまとめた後、空港で解散した。

山口建治・中村みどり

【参加学生の報告書から】(抜粋)

  •  私が大連企業見学に参加しようと決めた理由は、中国の企業を実際に見られる機会は少なく貴重な経験になると思ったからです。また、中国語学科で中国について学んでいく中で、自分の目で中国を見てみたいと思っていたことも理由の1つです。しかし企業見学の参加を決めたものの、中国語を学び始めてから3か月しか経っていない状態で中国に行って通用するのかといった不安もありました。
     1日目の9月7日は成田国際空港に集合し10時10分発の飛行機に乗り、12時15分に大連周水子国際空港に到着しました。空港からホテルまで車で移動しているときに大連の自動車の多さに驚きました。北京や上海は乗用車所有者が多くよく渋滞している印象があったのですが、その他の都市では少ないイメージを持っていたので現地に行くことで自分の今までの間違いに気づくことができました。
     2日目から企業見学が始まり、大連華信計算機技術公司という中国系IT企業とパナソニックの見学をしました。5日間様々な企業のお話を聞いた中で、パナソニックの方のお話がとても印象強く残っています。日本が世界で生き残るためにこれからどのようなことに力を入れていけば良いのか深く考えされられました。日本の工業やもの作りの技術は中国に追い越されることはないだろうとどこか安心してしまっている人は少なくないと思います。私もそのように思っていたので、工場に機械が導入されるようになったことにより中国と日本の技術の差が無くなってきているという話に衝撃を受けました。そしてこれからの日本はもの作りだけではなく物の開発に力を入れていかなくてはいけないというアドバイスも頂きました。日本の企業は早くこれらのことに気付いて対策を考えるべきだと思いました。
     3日目は中国国際貿易促進委員会とジャスタイム国際物流大連有限公司という貿易関係の企業の見学に行きました。
     まず中国国際貿易促進委員会のお話の中では、この委員会が主催する大連日本商品展覧会という催し物に興味を持ちました。大連日本商品展覧会は中国で唯一の日系企業が出展する国際総合展覧会で、食品・観光・工業製品など幅広い業種分野の企業が出展しているそうです。このように中国が主催で日本と交流の場を作ってくれている事を初めて知りました。日本から40都道府県及び中国国内から約2000の日系企業が出展する本展覧会には150000余りの人が参加や商談に来ていて、参加者数は年々伸びているという事だったので日本に興味を持つ人がいるという事に嬉しく感じました。また、最近日本では中国のあまり良くない事について報道されることが多いと感じるので、この展覧会のように日本に好意的な部分も伝えてほしいと思いました。
     次に行ったジャスタイム国際物流では大連の港を見学しました。
     4日目の午前は東北財経大学の見学をしました。日本語を学んでいる大学3年の生徒と交流しました。大連へ出発する前から現地の学生との交流はとても楽しみにしていたので質問などを考えていったのですが、中国語で上手く伝えられず苦労しました。しかし財経大学の皆さんが親切に日本語メインで話してくださったのでお互いの国の事などを聞き合うことができました。今後の中国語の勉強のモチベーションをあげられたと思います。
     午後は中山広場や大連博物館、昔日本人が住んでいた家を見に行きました。大連はロシアや日本などの外国と関わってできた都市であるため、街並みや建築物にその名残が残っていました。残しておきたい歴史の記憶ばかりではないと考えられますが、そのようなものも含めて大連という都市であると前向きに捉えている意見もあることが分かりました。(A・Aさん)
  •  今回私がこの大連企業見学に参加した理由は、夏休みという長期休暇を利用して海外に行ける機会はもう学生のうちにしかないと感じたからです。特に中国には、さまざまな都市に行きたかったので参加しました。また、企業見学ということで日系の中国企業や実際に中国で働く日本人の方の話が聞けることは、これから就職活動をするための何かヒントになるだろうと思いました。
     大連では日本語学科がある大学が大半であり、多くの人が日本語と中国語の同時通訳で仕事をしていることを知りました。現在、大連に住んでいる日本人は7000人、大連に来てる日本人は3000人の約1万人ほどの日本人が大連にいると知り驚きました。中国人の方は、やはり向上心が強くさまざまな言葉の刺激を私に与えてくれました。例えば、「注意すればどこでも学問」「熊のとうもろこし」「知識は世界への羽」「機会は準備ある人間に与えられる」などです。日本で聞く言葉とはやはり表現が違い、また違ったニュアンスで心に残りました。
     私が一番印象に残っていることは、東北財系大学を見学したことです。中国の大学に実際に入るのは初めてだったので教室から敷地内、道行く大学生、すべてがとても新鮮でした。まず、私が驚いたことは、向こうの中国人の大学生の日本語のレベルの高さです。授業で中国人の学生の意識ややる気の高さ、勉強量の違いは知っていましたが、ここまで違うのかと自分が恥ずかしくなりました。私も言語を大学で学習してきて、使えるレベルまで上達できていないことに歯がゆさを感じました。日本に行ってみたい、日本のアニメ・漫画が大好き、日本で流行っているものは?と興味深々に聞いてくる中国人の学生さん達に圧倒されました。普段から日本のドラマや音楽を耳にして生活している彼らは、日本文化はもうすでに生活の一部であり、日本人である私と何一つ変わらない気がしました。そんな彼らの熱意や向上心をいつまでも見習いたいと思いました。今もなおWeChatで親しく会話してくれるこの交流を大切にしていきたいと感じています。(S・Fさん)
  •  今回の大連企業見学は言葉が分からないなど様々な苦労もあったが企業見学というプログラムだからこそ出来る経験をし、中国の良い面、日本と違い怖い面を自分で感じる事が出来た。日本のマスコミは中国の悪い面ばかり報道しているが、実際に行ってみると中国のイメージはまた違うものでありプラスのイメージを自分が持てたことが一番の収穫だと思う。
     パナソニック大連工場はとにかくすべてがハイレベルで徹底されていて衝撃が多かった。大連工場の幹部の方がおっしゃった「車は人を運ぶものであり命が乗っている。その車の一部を作るということは人の命を左右するもので絶対に不良品は出せない」という強い想いが社内のゴミや静電気の駆除、社員への教育に出ていたのだと思う。ゴミ対策静電気対策は目に見えない小さなゴミですら部品に入れば不良品になりかねないということで、自分たちも特別な服と靴を履き、風の出る部屋でゴミを落とし、静電気が無いか確認する機械に乗った。ドアはゴミの移動を防ぐために2重扉で片方が閉まらないと片方が開かない仕組みになっていた。また工場入口のドアは開け閉めのドアだと開けっ放しにする人がいたために、回転扉に変えるなど日本にはない作りになっていた。特に精密なものである液晶パネルを作る場所では作業員は目以外、すべてが覆われた作業着を着て仕事をしていた。その服を着て1度でも手で顔を触るともう液晶に触れることはできないそうだ。工場内のいろいろな場所で徹底された管理を実際に見て学ぶことができた。
     そんな工場内で働く人の数は2000人程だというが、そのすべての人が業務に関する教育を受け、テストを一つひとつパスしながら仕事をしている。パナソニックの社員教育はとても細かく設定されており新入社員はもちろん、長期休暇から戻ってきた社員、幹部までもが200以上の項目の教育を受けるという徹底ぶりに驚いた。試験はすべて筆記であり、実際に勉強をしている方々は学校のように一生懸命勉強していた。
     また、良く仕事をした社員には昇給し、ルールを守らない社員には罰を与える飴とムチの方針は中国ならではであった。中国と日本の技術は日本のほうが勝っていると思っていたが、ほとんどの作業を機械で行っているため人は機械から機械に移すだけで中国も日本も変わらないと思った。むしろ機械があればできてしまうわけで、今中国ではどんどん機械を入れているため、この先は中国が日本を追い越していくのではないかと思う。そしてここまで徹底された施設を見て今まで荒っぽいイメージのあったメイドインチャイナへの見かたが180度変わった。(M・Nさん)
  •   私は、大連企業見学に参加して、実際に中国の企業を見ることによって、とても良い経験をすることができました。私がこの見学に参加しようと思ったきっかけは、将来、中国語を活かした仕事をしたいと思っていて、中国の日本と係わりを持つ企業に興味があったからです。
    中国の日系企業で働いている方に来ていただいて、お話を伺いました。大連には日系企業が多く、そこへ就職する人も多いとのことでした。大連に住んでいる中国人の若者が日系企業に就職する理由は、中国で日本の製品は評判がよく、今、成長を遂げている企業だからだと仰っていました。
     「大連華信計算技術公司」という中国系IT企業では、社員の方からお話を伺いました。この会社では、主にコンピューターに関するアプリケーションの開発をしているとのことでした。中国では日本よりもスマートフォンを使ってバスや電車を予約するシステムが普及していると聞いて、凄いと思いました。また、この会社は、中国国内だけでなく、日本の東京と沖縄にも支社を持っていて、日本と中国の関係が以前とは異なる形になってきていることを実感しました。
     「大連松下汽車電子系統公司」は、日本のパナソニックの支社です。この会社は世界中の車の会社と関係を築いていました。ここでは実際に工場の中に入って見学できました。見学したのはカーナビゲーションを作っているところです。とてもたくさんの人が働いていました。こうした中国人労働者の方たちは、働く前に工場教育を受けていました。この教育では、能力別に行われて、効率よく正確に製品を作れる人材を育てていました。また、ルールを守らなかった人に対する扱いはシビアなものでした。中国の人は、文化の違いもあり几帳面な作業を苦手とする人もいるそうです。これには、文字だけはでなく、イラストを示して説明するという工夫をしていました。こういった工夫は文化の違いを理解しているからこそできることだと思いました。社員の方の説明によると、中国で日本と同じ水準の品質の物を作ることは可能になっているとのことでした。これから日本は、技術ではなく、開発力で勝負するしかないというのは衝撃的でした。(M・Yさん)
  •  今回の研修の中で、東北財経大学に行き学生と交流する機会があった。その中で学生に大学内を案内してもらったのだが、あまりの広さに驚いた。図書館、食堂はもちろん、観客席も備え付けられた陸上競技場があり、そこでは一年生が訓練を行っていた。中国では大学に入学すると最初の一年は女子学生も男子学生も軍事訓練を受けるという決まりがある。学内でもたくさんの軍服のようなものを着た学生を大勢見かけた。韓国でも30歳を迎えるまでに男性は軍隊に最低でも二年入らなければならず、その面では日本は軍に入隊したり、訓練を受けることが強制ではないのでその分ほかに時間を使えるのはいいことなのかなと思った。また、学食の種類の豊富さと安さにも驚いた。バスやタクシーなども日本に比べて格段に安く、公共交通機関の料金を下げることで環境対策をしているのかと思った。研修の最後に再度現地の学生と交流し、その中で日本に就職が決まったという人がいて、反日と騒がれてはいるけれど日本で就職することを選ぶ人や中国で日系の企業を選ぶ人を多く見ると日本人が思っているよりも多くの人が日本に好印象を受けているのではないか、と感じるようになった。この交流で、中国の友達もでき、あたらしく感じたことも多くあり、とてもいい経験ができたと思う。(M・Oさん)
  •   今回私が最も印象に残ったことがこの4日目である。東北財経大学に行って日本語学部の人たちと交流させてもらった。私が驚いたのは彼らの日本語力がとても高かったからだ。学年を聞けば私たちと同じ3年生だということは、たいていの人が日本語を勉強してまだ3年であるといことになるが、我々の話す中国語よりも遥かに流暢であり、とても刺激を受けた。私も時折日本語を交えながら、なるべく中国語で話すようにしたが、やはり勉強量が違うなと感じさせられた日であった。今回残念だった点は、交流時間がおよそ3時間程度で、さらに訪問先が東北財経大学のみだったということだ。欲を言うのであれば、もう少し他の大学を見て、交流して、もっともっと勉強できればなと思った。その後の神奈川大学大連同窓会に参加されていた、学部の先輩方や、他の現地の大学の日本語学部の人達ともお話できてとても有意義な時間を過ごせたと思った。(N ・Kさん)
  •   東北財経大学で日本語を学んでいる現地の大学生と交流した。キャンパス内はとても広く、木がたくさん植えられていた。ついに同世代に会えると、わくわくしていた。実際に会ってみると、現地の学生たちはものすごく日本語が上手くて、私たちは中国語を話す必要がなかった。話さなくてはならなくても話せないが。そうして私は、日本に帰ったらもっと勉強しなきゃと、感化された。神大生による日本を紹介するプレゼンがあったが、現地学生の堪能な日本語を聞いた後に、私たちのボロボロな中国語を話すのはすごく恥ずかしかった。もっと話せるようになりたいと思った。
     昼食は現地学生と学食に行った。大量の餃子を4人で食べて、打ち解けられた気がした。別れが惜しくなった。しかし先日、ペアだった学生から微信(LINEのようなもの)が届いて、来年の春に交換留学生として神奈川大学に来ると聞いた。私はすごくうれしくなった。
    午後は自由行動と聞いていたが、満州鉄道の博物館に行った。日本人の私が見ても、日本を嫌いになりそうな展示や日本の残虐な行い、説明が書いてあって、これは中国人が日本を嫌うのも無理はないと思った。あの日本兵は、どのような気持ちで中国人を殺害していたのだろう、どのような気持ちで満州事変を起こしたのだろうと、とても胸が痛くなる博物館だった。
     今回の企業見学で、日本と中国の関わりを、身を持って感じることが出来た。中国人にたいするイメージがガラリと変わった。もっと勉強しないといけないと思った。これからの残り少ない学生生活で、もっと中国に対する関心を高めていきたい。(H・Sさん)