2017年度(第22回)レポート-ドイツ・ミュンヘン・ケルン

ドイツにおける企業見学会としては3回目を迎え、今回はミュンヘンとケルンの2都市を中心に、ドイツ企業とその背景となる歴史と文化を知る、より多面的なプログラムが実施された。学生たちのために、協力を頂いた現地企業は実に9社に及ぶ。多様なそれらの企業の背景にある企業理念と文化、そして何よりこうしたバラエティー豊かな企業を支えるドイツ社会の過去と現在を知るための文化施設として、ダッハウ強制収容所メモリアル、白バラ裁判でも有名なミュンヘン地方裁判所、そして現在も第二次大戦による修復作業が継続しているケルン大聖堂、及びケルン大聖堂の建築工房を訪問した。また、ミュンヘンの日本語学校生徒との夕食会やアウグスブルク大学の学生との散策会など、現地学生との国際交流も開催された。単なる企業訪問や視察を超え、濃厚な文化体験と社会理解への実践が詰まった本プログラムの実現のために、惜しむことなく理解と協力をしてくれた現地の人々の協力には心より感謝申し上げたい。

引率者:
シュテファン・ブッヘンベルゲル
小松原由理(文責)

プログラムの概要

 EU経済を牽引するドイツ産業の中心地であるミュンヘンでは、在独日本企業をはじめ、バイエルン州の放送局を訪問することもでき、またBMWを見学し、最先端の自動車メーカーの製造過程と緻密な作業工程をその目で直に見ることができた。

 隣町であるアウグスブルクのリーゲレビール工房では14世紀から続く醸造の歴史を知り、同じくバイエルン州にあるヴュルツブルクのワイン醸造所であるユリウスシュピタールでは、弱者や老人、そして病人を救うための保護施設の一部として発展してきた歴史を知った。玩具メーカーであるシュタイフ社では、その愛らしいぬいぐるみの誕生ルーツとして、小児麻痺を患った創業者が、いかに子供たちに喜びを与えるかという着想から世界的なブランドを展開するに至った経緯に触れることとなった。製品や商品の品質そのものの高さと共に、その根底にある企業理念の揺るぎなさ、同時に社会への貢献という想いの強さに、改めて驚かされた。

 さらに今回のプログラムでは、前回と同じくダッハウ強制収容所メモリアルの見学を中心に、あらたに白バラ裁判が行われたことでも有名なミュンヘン地方裁判所内の見学、そしてケルン大聖堂の見学及び、ケルン大聖堂の修繕全般を管轄するケルン大聖堂建築工房の見学という貴重な機会を設けることができた。どの施設見学においても、第二次世界大戦が破壊し損なわれたものの大きさと、その破壊の事実に、未だ「現在進行形」で向き合い続けている戦後ドイツ社会の覚悟が感じられた。

 また、ミュンヘン日本語学校HANABIの協力によるドイツ人生徒との交流夕食会をはじめ、アウグスブルク大学の学生によるアウグスブルク市内散策の企画等、本プログラムでも前回同様、学生間の国際交流が闊達に行われたことも付け加えておきたい。等身大の目線同志で意見交換ができたことは、体験を更に自分たちの世代における問題として身近に考えるためにも、非常に有意義な機会となったであろう。

日程

2月19日(月) 日本出発、ドイツ(ミュンヘン)着
2月20日(火) H.I.Sミュンヘン、ANAフランクフルト,日本語学校Hanabiによるレクチャー、Hanabi生徒との交流会
2月21日(水) BR(バイエルン州放送局)訪問、ミュンヘン地方裁判所内見学
2月22日(木) BMW見学
2月23日(金) リーゲレビール工房見学、アウグスブルク大学学生との散策会
2月24日(土) ダッハウ強制収容所見学、シュタイフ社見学
2月25日(日) ユリウスシュピタール醸造所見学
2月26日(月) ケルン大聖堂見学、Dufthaus4711見学、ケルン大聖堂建築工房見学
2月27日(火) ドイツ(フランクフルト)出国
2月28日(水) 日本着

参加学生の報告書から①

私は春休みの2月19日から2月27日に、外国語学部の海外企業見学のプログラムに参加しドイツに行ってきた。なぜ参加したかというと、地域言語の選択でドイツ語を履修しており、ドイツの文化に興味があることはもちろん、海外で働くことにも興味があったためである。とても学ぶことの多かった企業見学であった。今回のレポートでは、海外で働いているHISとANAの方からのお話し、印象に残った施設である、フッガーライの2つについて書いていく。そのあと、今回のプログラムで感じたことをまとめる。

HISとANA

 ミュンヘンのHISで働いている梶原徹哉さんの話によると、ドイツにあるHISは、日本からドイツなどのヨーロッパへの旅行手配、ドイツなどに住んでいる人の旅行手配を主に行っている。業務内容は基本的に日本の旅行会社と同じである。バイエルン州では、営業時間は20時までと定められている。土曜日の営業は許可制であり、閉店法により日曜日・祝日の閉業は行われないとのこと。日本とドイツのHISの違いは、交通費や住宅手当などは日本の方が充実しているが、有給休暇数、またその消化状況は、ドイツの方が多く、ドイツの方が消化しやすい。ドイツで仕事を見つける方法についてアドバイスもあった。1つはワーキングホリデーを利用すること。ドイツの学校に通うこともできるので、ドイツの生活に慣れることができる。人材派遣会社に登録し、バイトなどをしながら定期的に求人広告をチェックし、自分の就職したい会社の求人を探す、というものだ。希望の就職先が見つからない間は、日本食などのレストランで勤務すると、一旦ビザサポートがありビザが取得しやすい。しかし、即戦力を求めている企業が多いため、日本の企業で2、3年程度の勤務があったほうが就職しやすいという。もう1つは、日本で就職するということである。ドイツに支店がある会社なら駐在員として派遣される可能性がある。また3年以上の職歴で即戦力と判断されれば、日本の職場から転職という形でドイツの会社に採用されやすくなる。また、どちらにもいえることだが、地域によっては住むところを見つけにくい所もあり、募集の条件に住居が決まっていることがある場合もあるらしい。

 フランクフルトのANAで働いている野口敏さんからは、海外で現地採用として働く場合と、駐在員として派遣され働く場合の、メリットとデメリットについて聞くことができた。現地採用のメリットは、自分の好きな国を選べること・ずっと海外で働けること・国にもよるが長期で休暇を取得しやすいことである。デメリットは、ビザの取得のサポートがない場合があること・住居費などの補助がないこと・勤務国への移動費は自己負担・帰国の際は仕事を辞めなくてはならないということである。一方で駐在員としてのメリットは、会社からビザの取得のサポートがあること・住居費や医療費の補助があること・赴任、帰任の費用は会社が負担すること・帰省空港券が付与されることがあることである。デメリットは、駐在先を選ぶことはできないということ・生活設計の難しさ・駐在員になれるという保障はないということである。

世界最古の社会福祉施設フッガーライ

 アウグスブルクにあるリーゲレビール工房を見学したあと、アウグスブルクの大学生に街を案内してもらった。その時訪れた施設がフッガーライである。フッガーライとは、1521年に豪商であるヤコブ・フッガーの資金により、貧しい市民のために建設された社会住宅である。1年間の家賃は今も昔と同じ、0.88ユーロである。フッガーライは現在でも使われている社会住宅としては最古のものとなっています。 昔のフッガーライでの生活の様子が残されている博物館を見学し、また世界大戦の際作られた防空壕の資料室には「第二次世界大戦のフッガーライ 破壊と再建」の展示が行われていた。

まとめ

 今回の企業見学で思ったことは、働いている人たちがとても楽しそうで、また自分の仕事に誇りを持っているといことである。またドイツの学生と会う機会も多かったが、アウグスブルクのキリスト教のプロテスタントの学生が、教会を見せてくれた時に、自分の宗教について、またカトリックとの違いも説明してくれた。私も自分の、日本人の、宗教観について説明したくて、講義をとっていたが、まだ上手に、日本語ですら表現できない。私のなりたい姿がそこにあり、とても衝撃をうけた。

 ダッハウ強制収容所は、言語の祭典で『死のフーガ』をやったこともあり、色々なことを考えた。100年もしない昔に行われていたことの残酷さと、100年も経ってない今、その施設を見学している人たち。ドイツは、ヒトラーという存在をもう2度と起こしてはいけない過ちとして、向き合っていることを感じた。私も、もっと日本がしたことも知らなくてはいけないのではないかと考えさせられた。

国際文化交流学科 3年 田邊真英

参加学生の報告書から②

私が今回この海外企業見学に参加した一番の理由は実際に海外に出て現地の雰囲気を感じることであった。本講義でドイツ語を学んでいることで少しではあったが、ドイツ語で現地の方とコミュニケーションを取ることもでき、大きな経験になった。その中でも印象に残った訪問地が以下の通りである。

BMW訪問

 ミュンヘンに本社を構えるBMW社は元々航空機のエンジンを作る会社として設立された。その本社はエンジンのシリンダーを4つ合わせた独特の形が特徴的である。今では、BMWの他にミニクーパー、ロールスロイスも傘下にするほど発展したドイツを代表する自動社会社である。訪問地はヴェルトとミュージアムに分かれていた。ミュージアムには誰でも気軽に入ることができ、中にあるショップでショッピングを楽しむことができる。一方で工場はチケットを購入し、ツアーという形で見学した。工場内では写真を撮ることは許されずBMWがいかに技術を重要視しているか、そしてその緊張感を感じた。また、BMWに対して私がいくつか質問した中の一つに「自動運転の技術が世間では注目されているが、現在実際にどの段階まできているのか。」というものがあったが、その返答で実際にBMW社が描いている自動運転の理想像、各段階のイメージ映像を見せていただいた経験は非常に貴重なものとなった。

リーゲレビール工房訪問

アウクスブルクにあるリーゲレビール工房へはミュンヘン中央駅からICEに乗り向かった。40分ほどICEに乗り、アウクスブルク中央駅からは徒歩数分。 ビールは辛口であったりフルーティな口当たりであったりと作り方次第、そして材料の比率によって様々なビールを作ることができる。中でもリーゲレビールは昔からの作り方にこだわりを持っており、施設内もビールを各過程によって室温に違いがあったり、香りが強い部屋があったりと肌で感じられる施設見学であった。又、この工房は工房の地下からくみ上げた地下水をビールに使用している。ビールに大きな影響を及ぼす水にも注意を払っておりこだわりの強さを感じた。他にも日本とドイツのノンアルコールビールの表記の違いやよりフルーティにするにはどうすればよいのかなど詳しいビール事情についても説明してくださり、ビールで有名なドイツを訪れるにあたって欠かせない体験となった。

Dachau&Steiff

 ダッハウ強制収容所は第二次世界大戦中に当時のナチス党によってユダヤ人が連行された施設である。ナチスはドイツ内外にいくつもの強制収容所を始めとするユダヤ人を監禁する施設を建設したが、このダッハウ強制収容所はその多くの収容所の中で最初に建設されたものであった。そのため、この施設にはガス室や火葬場などほぼ全ての施設が存在しダッハウをモデルにして後に他の強制収容所が建てられていった。又、強制収容所を管理するナチスの党員もダッハウでノウハウを学んだ後に様々な施設で指揮を取ったり、あの有名なアウシュヴィッツで虐殺を指示したりと管理する側の養成施設としての役割もあったようだ。施設内でオリジナルのものは少なく現存しているものの多くは再建されたものであった。しかし、ミュージアムの中には当時の写真や収容された人々が遺したスケッチやメモが展示されていた。その生々しい雰囲気に圧倒され胸が苦しくなる思いになり写真に収めている余裕はなかった。

  世界的に有名なテディベアを手がけているシュタイフ工場はギーンゲンにありその街並みはおとぎ話に出てくる世界のようであった。このギーンゲンのシュタイフ工場はミュージアムと一緒になっており、テディベアのお土産を買うだけでなく、テディベアの歴史を追いながらストーリーに沿って進んでいくツアーに参加することができた。そこでは自らテディベアを作るコーナーがあったりと子供から大人まで楽しめるミュージアムとなっており、モノづくりの国としての一面を感じることができた。

ユリウスシュピタール醸造所

  ロマンティック街道の北に位置するヴュルツブルクはフランケン地方に位置し、ワインが有名な地方である。町を囲むようにある丘の上にはブドウ畑が広がり、その雰囲気を街並みからでも感じることができる。中でもユリウスシュピタールでは製造しているワインのうち85%は白ワインだそうである。工場内は最新の機械を使い効率化を図っている部分(ブドウを運び込む過程、温度管理)もあれば、ワインを寝かせる大樽には何世紀も前から使われているものを現在も使っていたりと現代的なものと伝統的なものそれぞれの良さが引き出されているように感じた。又、ここまでドイツ滞在中は晴れることがほとんどなく、雪が降ったり曇りだったりとある意味ヨーロッパの冬らしい天候が続いていたがヴュルツブルクでは晴天に恵まれ、ロマンティック街道の美しい街並みを楽しむことができた。

ケルン大聖堂

 世界遺産にも登録され非常に人気の高いケルン大聖堂の見学はマイスターとケルン大聖堂を保護する企業の方の案内によって行われた。幾度と建設が中断され、建設が再開するたびにその規模を拡大してきた大聖堂はその地下にも秘密が多くあった。今は上に現在の建物が建ってしまっているために外からは見ることができないが、建設された当初の柱の跡や保全活動が地下では行われていた。又、この大きすぎる建物は常に修復工事が行われており専門の方による作業が続くようだ。建設当時は町に根付いた小さな教会であったが、大きくなった今となってはこの歴史的遺産を守っていくことは大変なことであり重要な意味を持つのだと感じた。

まとめ

 今回の海外企業見学では各訪問地で得た情報はもちろんのこと自分で体験した感覚は非常に貴重な経験となった。日本にいても中々できない経験ばかりであったから大きな刺激を受けた。訪問先での体験だけでなく、海外へ行くことが初めてだった私にとって海外での10日間は毎日が新鮮で、電車に乗るにも食事を注文するにも挑戦ばかりであった。幸いにも日本食が恋しいという思いや日本に戻りたいといった感覚はなく、逆にもっとこの国について知りたいと感じ、また戻ってきたいという思いが強くなった。普段の生活の中で見かける機会が少ない路上生活者を見る機会は日本にいるよりも多くあり、驚いたのと同時に日本国外ではそれが普通なのかどうなのか疑問に思う部分もあった。移民に関してもその人のルーツが日本よりも複雑であるヨーロッパだからなのかもしれないが、様々な人種の人がいたようにも感じたが、見ているだけでは皆打ち解けて上手くやっているようにも見えた。日本に帰ってきてから思うことも多くあり、日本、ドイツ両国の知識を増やし考え方を広げていかなければならないと感じる機会だった。

(国際文化交流学科2年 廣澤 光紀)